歴史散策-常陸風土記

H18年9月14日、社友クラブの同好会「歴史散歩」で常陸風土記の特に行方郡を散策するというので参加した。

今朝は雨模様だが、自宅を7時に出た。25分には南ドライブインに到着した。暫く車中で待っていると仲間が集まってきた。今日は歴史探訪で常陸風土記の特に「行方郡」の遺跡を訪ねるのだ。


「行方の郡(こおり)。東・南・西は並に流海、北は茨城の郡なり」 常陸風土記の行方の郡 に関する書き出しを読み下したものの始まりである。周りは海で半島のようになっていたのである。

シオン大学名誉教授・日立博物館長の志田諄一先生が自ら案内してくださるのだ!先生は常陸風土記の研究で文学博士を取られたこの道の大家である。

総勢42名で大型観光バスに乗り、MM研のAさんの隣に座る。7:50に出発、南日立ICから常磐道で乗り、千代田石岡ICで国道355号に出る。まもなく右手に霞ヶ浦が見えてきた。車中で常陸風土記の行方の郡(こおり)の読み下し文で簡単な解説があった。車窓から見える「サンマイ塚」という古墳、芹沢家の由来などの説明もあり、バスは進行する。

梶無川の河口といっても霞ヶ浦に流れ込むのだが、ここで下車する。行方郡と茨城郡との国境なのだ。左の写真が湖の方向だ!雨で遠景は霞んでいる。日本武尊が小船でこの川を上ろうとした時に棹梶が折れたので梶無川と名づけられた。

この写真は対岸の昔の茨城の郡の方向である。晴れていれば筑波山も見えるのだが。川幅は10mくらいかな?鯉、鮒多しと風土記に記載あるが、現在でもその通りである。今日は釣り人も見えないが。
近くに茨城県内水面水産試験場がある。霞ヶ浦関連の川魚の養殖など研究しているのだろう!そういえば2,3日前に鰻の稚魚を放流しているニュースを聞いた。 雨のため筑波山も見えない。

道の駅「玉造」でトイレ休憩。この玉造というのも古代に瑪瑙で勾玉を作っていた証拠なのだそうだ!水族館もあるようだが、人影は見えなかった。綺麗なトイレを使わせてもらっただけである。

 

椎井の池 までかなり吹き降りの中を歩く。自家用車なら通れるが、大型バスは無理だが、雨の中を10分歩くのは辛い。常陸風土記に記事が出ている。東国開拓の時に土着の民との争いを表したものようだ。夜刀の神とか日本武尊・・というくだりが出てくる。 東北地方からの捕虜を住まわして開拓させたようだ!その地名として提賀の里がなまって手鹿としてのこっている。 夜刀の神という蛇の頭に角の生えている生き物の話などが出てくる。愛宕神社もあったが、階段が大変なので 入り口の泉を見ただけだ!

次いで「西連寺」という天台宗の格式のあるお寺を訪れた。 山野を開くのに天台宗が貢献した印なのだそうだ。この仁王門は国の指定文化財だ。当初の桓武天皇時代は2層になっていたが、火災に会い、再建時にこの形になったのだそうだ。、

大きな一つに抱き合っている二株の銀杏の木が印象的だ!枝が根っこのように垂れ下がっているのだが、縁起が良いとかで失敬してゆく人がいるとか?

元寇の役の戦勝記念の塔であり、9.3mある。!

 

次いで「玉清の池」を訪ねた。雨は小降りだったが、急に突風が吹いて、カメラ、帽子が飛びそう、傘がオチョコ で遂に傘が壊れてしまった。やはり泉にまつわるお社だ!

泉の湧いている池である。日本武尊はこの泉で水を掬はんとされた時に勾玉が落ちて、泉に沈んでしまったのだそうだ。それが「玉清の井」という名前の由来である。向かい側に誰かの像(日本武尊?)が立っていたのだが、説明を聞き損ねて気付かなかった。

最後に 天王崎公園を覗く。霞ヶ浦の景勝地・湖水浴など楽しめるのだが、雨雲が低く垂れ込めて殆ど遠景は見えない。この近くの国民宿舎で昼食を取ろうとしたら、入浴した方だけしかサービスしないと断られた。

これで見学は終わりで1時頃に途中の大きなベイシアで各自遅めの昼食を頂いた。13:45に出発して岩間ICから常磐道に乗る。うつらうつらしながら。そしてAさんとパソコン関連の話などしながら。

最後に「西連寺」の仁王門の前での全員写真を載せておく。藤原さんのご好意によるものである。
最前列中央が志田先生、向かってその右が小生である。

 本日は権威のある先生から丁寧な説明をしていただいて勉強になった。次回は来春 真壁の雛祭りを見学するのだそうだ!

遺跡の地図

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